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序 章 日本海 日帰り ツーリング |
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2009年4月19(日) 御殿場 → 富士吉田(東富士五湖有料道路) → 上越市(中央道・上信越道) → 南魚沼市(R253) → 鶴ヶ島JCT(関越自動車道) → 八王子JCT(圏央道) → 富士吉田(中央道) → 御殿場(東富士五湖有料道路) |
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午前五時 目覚ましの音と共に愛妻と起床。 身支度を整え、午前六時に愛機に跨り家を出た。 夫婦が向かう先は越後の国(現新潟県)は春日山城。 言わずと知れた戦国時代、最強軍団を率いた上杉謙信公の居城である。 今年から始まったNHK大河ドラマ「天地人」にすっかりはまってしまっている夫婦にとって、一度は訪れておかなければならない場所である。 早朝の走りは誠に清々しい・・・。 車も少なく、順調にハイウエイを飛ばす。 富士吉田から大月を経由して中央道に乗る。 やや肌寒さはあるものの、時間が経つにつれて暖かくなってくるのがよく分かる。これは単車乗りの特権でもあるのだ。 季節や天気を肌で感じ、そして匂いでも感じ、言葉では言い表せないドラマがそこにある・・・。 甲府をすぎ、朝食を済ませてなかったので腹が減ってきた。 迷い無く、双葉S・Aに立ち寄る。 今までのツーリング日記でも度々紹介させてもらったが、このS・Aにはその場で握ってもらえる、おにぎりコーナーがある。 これが病みつきとなり、いつもいや、必ず寄っては食べる事にしているのだ。 しかし、いざ行って見ると、本日の販売はしておりません!!との店員からの冷たい一言・・・。 気を取り直して、てんぷら蕎麦を食した。 食事が終わり、女房殿が先に単車置き場に戻り、小生はトイレで用を足して戻ってみると・・・ なんと、我愛機にぴったりと横づけした何処かのライダーが女房殿をナンパしているではないか!! しかも仲良く話しこんでいる。 貴様それでも武門の妻か!!チャラチャラしやがって!恥を知れ!!! っと叱りつけようと近寄ってみたら、我単車道の師であるMぁ氏がそこにいた。 なんで居るの???っと一瞬思ったが、よくよく聞いてみると・・・・・ 以前彼に今日走ることを話したのを覚えていたらしく、散歩がてらに寄ってみたと言うのだ。 しかも、必ずここに寄ることを見越していたらしく、さすがわが師と言わざるおえない・・・。 気をつけて行くように!!っと師からキツク言われ、Mぁ氏と別れた。 考えてみたら、昨年の8月以来単車に乗ってはいなく、来る黄金週間に向けてのリハビリを兼ねた 旅でもあった。 その後、愛機は順調に高速を走り、燃料補給の為、真田10万石の城下街でもある松代S・Aに入った。 |
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松代S・Aで、たらふく愛機のお腹を満たしてあげて、いざ出発!!![]() 上越を目指して上信越道を走る。 この辺りは休日でも車両は少なく快適に走れる。小生お気に入りの高速道路でもある!! 新潟県に入ると、妙高山が綺麗な姿を見せてくれた。 直江兼続公もきっとこの雄大で素晴らしい景色を見たことであろう。 時代は変わっても、自然の美しさは変わらない・・・。 午前10時過ぎ、無事上越I・Cに到着。 ETCゲートをくぐる時、1000円表示にちょっと感動・・・。 いざ春日山へ!! |
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妙高の山々が熱烈歓迎してくれるような気がします・・・ 。美しいです!! | ホ ・ ホ ・ ホ ・ ホントに1000円だぁ〜〜〜!!! |
春日山城までは上越インターからほんの10分程度でいける。 小生は一度訪れてはいるが、時間の都合でただ行っただけに終わっているので、謙信公や兼続公が暮らした春日山城を今回はとくと感じたい。 女房殿はと言うと、そこに行けば主演の妻夫木君に会えるかも・・・っと訳の分からない妄想を抱いている。 二人の想い??を乗せた愛機は、春日山城へ進路を取る。 春日山城に着くと、大河ドラマの影響か結構人が多かった。 駐車場に愛機を止めると、まず目に飛び込んでくるのが、上杉謙信公の銅像である。 小生から見れば、ありがたい銅像に見えるのだが、女房殿は阿部ちゃん(上杉謙信役)に 似てない!!っとムッとしていた。 この御仁は・・・っと思いつつもいざ山頂にある本丸を目指して歩き始める。 戦国時代屈指の山城とあって急な坂道を息を切らせながら二人で歩く。 登り始めて間もなく、直江屋敷跡が現れる。 直江家は上杉家中でも筆頭家老を務めた家柄でもある。 ここに兼続公も居たのかと思うと心が躍る。 さすがの女房殿も、直江屋敷跡に書かれている案内板をくいるように見ている。 どうやら、学習しているようだ。 よしよし・・・っと思いながら、直江浪漫に浸る小生であった・・・。 |
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戦国時代屈指の山城だけあって登るのにけっこうキツイっす | 直江屋敷跡にて。 兼続公もここで暮らしたんですね・・・感無量です。 |
直江屋敷跡から、さらに本丸を目指して歩いて行くと毘沙門堂跡が現れる。 謙信公は出陣の前には必ずこの堂に籠り、この戦(いくさ)に「義」があるのか?ないのか?己に問いかけ続けたという・・・。 この謙信公の義の精神は、上杉二代目の上杉景勝公・直江兼続公の主従に受け継がれ幕末までの上杉家の存続にも繋がっていくのだ。 そもそも「義」とは、正しい道理・正しい道を指す。これは武道にも繋がる精神でもあるのだ。 時代を超えても尚、愛されてやまない上杉の“義”の精神は、忘れ去られている今の日本人の精神ではないかと思った。 毘沙門堂にお参りを済ませ、いざ本丸へ!! |
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毘沙門堂に掲げられている毘沙門天の文字 | 毘沙門堂跡にて。 沢山の人がお参りしてました。 |
毘沙門堂からは、すぐに本丸へと行ける。 ここからの展望は素晴らしい!!の一言。 眼下には上越市の市街地とその奥には日本海の雄大な展望が目に飛び込んで来る。 はるばる静岡からやってきた甲斐があると言うモノ。 謙信公を始め、上杉の義の軍団がこの眺めを見ていたかと思うとほんとに感無量・・・。 しばし、この眺めを楽しむことにした。 |
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春日山城本丸から上越市街地を望む。 上杉の“義”の軍団もこうして城下を眺めていたんですね・・・。 | |
本丸の眺めをたっぷりと堪能した後は、本丸の裏手側に降りてみる。 そこには大きな井戸があった。 400年以上たった今尚、水が枯れる事がないこの井戸は時空を越えた戦国ロマンを現代人に教えてくれるかのようでもあった。 そこからさらに降りて行くと、上杉景勝の屋敷跡に出る。 大河ドラマだと、景勝役には北村一輝さんがやっているが、この屋敷から樋口兼続(後の直江兼続)が歴史の大舞台に羽ばたくのである。 大河ドラマでの景勝・兼続主従のやり取りが本当に面白い。 寡黙な将であった景勝と明朗快活な武将である兼続の絆の深さには見応えがある。 ドラマでのやりとりを想像しながら、現実もこの主従の関係はそうであったのかぁ・・・と思うと誠に興味深くなる。 たっぷりと春日山城を堪能した旅人改め「天地旅人」であった・・・。 |
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春日山城の大井戸。 400年以上たった今でも水は枯れてはいません。 スゴッイっす。 | 上杉景勝公屋敷跡。 ここから直江兼続公が歴史の表舞台に登場します! |
春日山城を後にして、近くにある林泉寺を訪ねた。 林泉寺は、上杉家が時の天下人である豊臣秀吉の命により、会津(現福島県 会津地方)に移封される前の上杉家の菩提寺である。 また、謙信公が幼少から勉学に励んだ寺でもあるのだ。 ここには、上杉謙信公や直江兼続公に関する一級品の資料が保管されている。 心して山門をくぐるが、その趣には圧倒される。 山門の額に書かれている「第一義」は、謙信公がこよなく愛した禅の言葉だそうだ。 現在の額は復刻版らしく、謙信公直筆で書かれた額は宝物館に保存されていた。 これからの道中の安全を祈願して、林泉寺を後にした。 |
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林泉寺の山門。 威風堂々としています。 | 山門の“第一義”の大額。 謙信公の義の想いが伝わってくるようです。 |
林泉寺を後にし、上越市街地にある御館の跡地へと向かう。 途中、春日山城の堀跡を見学したが、春日山城の規模の大きさに少し驚いた。 目指す御館の跡は、さすがに市街地の中にあるだけあって、ここまで来るのに苦労した。 御館とは、謙信公が関東管領上杉憲政を迎えた時にその居館として建設した関東管領館のことで、春日山城下に設けられ、 後に謙信公も政庁として使用した館の事である。 謙信公が亡くなるとすぐに、上杉家の後継争いが勃発。 後継争いに名乗りを上げたのが、謙信公の二人の養子である、直江兼続が主君上杉景勝と 上杉影虎の二人である。 ここに、御館の乱と呼ばれる壮絶な内乱が起きる。 いち早く春日山城を奪取した景勝方と、城を追われた影虎方が立て篭もったのがこの御館である。 戦局は影虎方の優位で進んだが、樋口兼続(後の直江兼続)の知略と活躍により、景勝方の勝利となる。 この内乱で直江兼続は歴史にその名を刻む事になるのだが、兼続公の歴史デビューと言っても 過言でもあるまい。 今は、そんな壮絶な戦いがあった事など想像できないほど静かな住宅地の中にある。 当時の遺構などまったくなく、公園化されていて小生らが尋ねた時は地元の方々が花見をしながら、 春のポカポカ陽気の中酒を酌み交わしていた。 |
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かつての戦場も今は普通の公園です。 ちょっと残念・・・。 | 御館の桜。 花見をするのもアリかも・・・。 |
御館を後にした旅人は、景勝公・兼続公の生まれ故郷である、南魚沼市へと向かう。 南魚沼市までは国道253号で約80km程の道のりである。 この国道は初めて走ったが、車も少なく快適に走れた。 いかにも越後の国らしい、のんびりとした風景に癒される。 松代(まっだい)を抜け、信濃川を渡れば日本屈指の豪雪地帯である十日町に辿りつく。 ここは、冬になると雪像などが楽しめる雪祭りも開催されるそうだ。 一度は訪れてみたいものである。 十日町から南魚沼市まではもう少し・・・。 愛機のエンジンがここぞとばかり、うねりを上げ快調に飛ばす。 途中、棚段があった。日本の風景の原点とも言えるこの風景は日本人である事に誇りを 感じさせてくれた。 これから田植えをまつ田んぼだが、秋には黄金色をした稲穂を実らす事であろう。 十日町を過ぎ暫く走り、山を下るといきなり大きな山が現れる。 この大きな山は八海山である。まだ頂には残雪もあり見応え十分であった。 いよいよ、南魚沼市に入る。 南魚沼と聞いてピンと来ない方には、六日町っと言えば聞いたことがあるであろう。 平成の大合併で六日町は近隣の市町村と合併をし、南魚沼市と名を変えたのである。 ここは、前途でも述べたように、景勝公・兼続公の生まれ故郷である。 まずは坂戸城を見学にっと思いきや、昼食も取らずにここまで来たので腹ごしらえをする事に・・・。 ぶな苑さんと言う、絶品の蕎麦を食べさしてくれるお店があるらしい・・・。 リサーチ済みの小生らは真っ先にぶな苑さんに向かった。 店構えといいこれは・・・・っと思わせるお店であったが、 時既に遅しとはこの事・・・。 もう売り切れてしまったとの事で、食べる事は叶わなかった・・・。 落胆しても腹は減る。しかも女房殿は無口になりご機嫌がかなり悪い・・・。 代わりのお店を探すことにした。 六日町インター付近に、「名古屋」さんというお蕎麦屋さんを発見!! 何の迷いも無く草鞋を脱ぐ。 小生は、ざる蕎麦とカツ丼を、女房殿はとろろ蕎麦を注文した。 待つこと数分・・・。 待ちに待った昼食となり、まずは蕎麦を一口・・・・。 「おぉっ」っと思わず言ってしまうほどの美味さ!! 腰がしっかりとして、歯ごたえもあり、キュっと締まった蕎麦の味がたまらない。 あっという間に蕎麦を完食。カツ丼に手をつける。 南魚沼産のお米を使用しているだけあって、こちらもかなり美味い! 米がとにかく美味い。カツも柔らかくご飯に良く合う。 美しい味と書いて“うまい”と呼ぶとはまさにこのことである。 女房殿も好物の、とろろと、蕎麦のハーモニーを楽しんでいるご様子・・・。 我ら旅人一同満足する。 |
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南魚沼市街から八海山を見る。 大きな山で存在感があります・・・。 | |
名古屋さんの美味しいお蕎麦です。 ホントに美味しかった・・・。 | 南魚沼産のコシヒカリを使用しているカツ丼。 パーフェクトでした! |
お腹も満足して、いざ坂戸城へ!! 南魚沼市の中心部にある坂戸山が坂戸城である。 景勝公・兼続公の主従関係はこのお城から始まったのだ。 国道17号線を六日町駅で左折すると大きな山が現れる。これが坂戸城である。 この坂戸城の魅力はなんと言ってもその高さであろう。 しかも急峻で、いかにも天然の要害であったことを容易に感じ取れる。 さすがに、この山を見ると登ろうという意欲はなくなってくる。 駐車場の案内板には山頂まで一時間を要すと書かれてあった。 登頂は次回にすることにして、山麓にある居館跡を見る事にした。 途中、カタクリの花が一面に咲き乱れ、お花畑のような美しい景観を楽しめた。 のんびり歩いて10分も掛からない所に居館跡があった。 近くには大きな桜の木があり、ちょうど散り始めていて、そよ風に桜が舞い幻想的な風景でもあった。 居館跡には景勝公・兼続公の生誕の碑が建ち多くの観光客が記念撮影をしていた。 次回は必ず登頂を・・・っと心に誓い坂戸城を後にする。 |
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坂戸城跡。 さすがに、この山を登るにはちょっと勇気がいるかも・・・。 でも、次回は必ず・・・・・・・・ | |
かたくりの花畑。 ちょうど旬でした。 | 坂戸城居館前にたたずむ桜。 |
坂戸城を満喫し、ふっと時計を見たら、既に午後3時を回っていた。 近くにある雲洞庵という禅寺にも行きたかったが、これから静岡まで帰らなければならないので次回にした。 この寺は景勝公・兼続公が幼少の頃修行した寺であり、当時は越後随一の寺と賞賛された寺でもある。 次回の旅で詳細を報告したいと思う。 さて、帰路に着く旅人達。 六日町インターより関越自動車道を東京方面へと走る。 高速から眺める坂戸山が旅人達を見送ってくれた。 順調に高速を走る愛機。 関越トンネルの手前では谷川岳がその存在感を大きく見せている。 ここを抜ければ関東だ!! 愛機のアクセルを全開モードに。 それに応える愛機のエンジン音は、旅人のハートに響いてくる。 関越トンネルを抜けて関東に入ったと思いきや、道路情報の電光掲示板に見たくも無い現実が・・・・。 なんと沼田I・C〜渋川伊香保I・Cまで、事故による通行止めの文字が!! 「ノォォォ〜〜」と愛機を走らせながら叫ぶ小生・・・。 ふっと後ろを見ると、女房殿は疲れきってか、タンデムシートでウトウトし始めている・・・・。 こんな時に何寝てるんだ!!っと女房殿を起こし掲示板を見せる。 「Oh My ガッツ石松」と遅れながら女房殿も叫ぶ。 どうやらお目覚めのようだ・・・。 そうしている内に沼田インターで降りて、迂回路の国道17号線を走る。 これがまた大渋滞・・・。 高速1000円は嬉しいが、車の台数もかなり増え、こうなると収拾がつかないくらいになってしまう。 渋滞の中、追い越しを掛けようにも、前には嫌がらせのように白バイ隊が・・・・。 結局1時間30分も掛けて渋川伊香保インターに到着。 そのまま高速で走れば、恐らく20分程度の距離であっただろう・・・。 大幅な時間のロスで、段々と走る気力が無くなってくる。 しかし、後ろの女房殿は何故か余裕のある顔つき・・・。 聞くと、どうやら明日は仕事が休みらしい。 絶望という言葉と、表現出来ない疲れが小生に押し寄せてきたのは言うまでも無い・・・。 そんな中、所々の渋滞を交わしながら鶴ヶ島JCTで関越自動車道に別れを告げ、 圏央道に乗り八王子JCTを目指す。 とっくに日も暮れ、暗闇に包まれた圏央道を疾走。 八王子JCTから、中央高速に乗り大月JCTから東富士五湖有料道路へ・・・。 ここから寒さがキツク感じられてきた。 山中湖から長いトンネルを抜ければ、須走インターはもうすぐだ。 最後のETCゲートをくぐり、午後8時20分無事帰還を果たす。 全走行距離は712kmの旅であった。 天地旅人の旅はまだまだ続く・・・。 |
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谷川岳を望む。 これを抜ければ関東です!! | 一日で走った過去最高の走行距離かも・・・。 いやぁ〜走ったぁ!! |
天地旅人の旅はまだまだ続きます。 乞うご期待!! |