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この旅物語は、 「天地旅人 序章 日本海 日帰りツーリング」 を見てから御覧になると、より一層楽しめます!! |
第二章 山形ツーリング (第1話) |
ルートマップ 1 |
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ルートマップ 2 |
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5月1日(金) 御殿場 → 富士吉田(東富士五湖有料道路) → 八王子JCT(中央道) → 鶴ヶ島JCT(関越道) → 南魚沼市(関越道) → 新潟市(関越道) |
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朝ふっと目覚めた・・・・。 時計を見たら午前9時をさしていた。 あっ!!と声を上げてベットから飛び降りる。 今日から、黄金週間の休みを利用して、ツーリングの旅をする予定だった。 我家には小生しかどうやらいないらしい。 女房殿は仕事に行き、父や母は出掛けたみたいだ。 本来なら、早朝の5時には家を出るつもりだった。 どうやら寝坊をした・・・。 支度をしながら、鋼のハートが折れかかっている。 早朝に出立するのがツーリングの醍醐味なのだが、ここまで寝坊すると、どうでもよくなってきている。 とりあえず、気が向かないまま大量の荷物を愛機に押し込み、午前10時ようやく出陣した。 いつものスタンドで給油をし、“いざ出陣”と思いきや、近くにある友人の工場前を通ったら暇そうにしているF好君を発見!! 寄り道をしてしまった。 F好君たる人物、若かりし頃より徒党を組んでは単車で走っていた友人である。 小生のツーリングレポートの大ファンっと言う彼から、また楽しいレポートを期待していると言われ彼と別れた。 今度こそっと気合を入れなおして愛機のアクセルを開ける。 単車道の我師である、Mぁ氏の家の前まで来たら、何となく、またまたここでも寄り道・・・。 珍しく、旅に行くのがよっぽど気が乗らないらしい。 Mぁ邸に行くと、師が魂を抜かれたような顔をして出迎えてくれた。 どうやら、四国にツーリングに行く予定だだったのが、ご子息が体調を崩したらしく、 「これじゃ、どこにも行けん!!」っとぼやいていた。 しばし師と雑談していると、本当に旅に出るのが嫌になってきた。 時刻はすでに午前11時・・・。 しかし、どうしても今日は新潟まで行かねばならない。 Mぁ氏に見送られながら、今度こそ“いざ出陣” お決まりの東富士五湖有料道路から大月を経由し、中央道で八王子JCTを抜け、 圏央道の鶴ヶ島JCTから関越道に乗る。 さすがに、ここまで来てしまえば旅の気分は盛り上がってくる。 快晴の中、気分良く関越道を疾走。 途中、赤木P・Aで小休止を取る。 このパーキングエリアからは赤木山の雄大な景色を楽しめる。 缶コーヒーを飲みながらベンチに座り、新緑のそよ風を受け旅情に浸る。 キャッキャと騒ぐ声が聞こえて、ふっと横を見ると女子大生らしき3人組が、赤木山をバックに写真を撮っていた。 携帯のセルフタイマーで写真を撮っているようだが、中々思うように撮れないらしい。 「常に困っている人が目の前に居れば、いかなる時も、そっと手を指しのべる事が出来るのが空手家である・・・」 っと常日頃稽古指導している小生は、「撮ってあげましょうか?」っと声を掛けた。 「え?本当にいいんですかぁ? じゃあ、よろしくお願いしますぅ」 っと携帯を渡され、空手で鍛え上げた集中力で撮ってあげたベストショットに、大喜びされた。 人様に喜ばれるほど気分がいいものはない。 数時間前までグズっていたとは思えないぐらい清々しい気持ちになった。 念の為に言っておくが、決して下心があった訳ではない!! 赤木P・Aを後にして関越道をまた走る。 なぜか愛機のアクセルを開けるのが、軽く感じられる小生であった・・・。 |
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谷川岳を目前にし、関越トンネルを抜ければ越後の国に入る。 ここで空腹感を感じ始めた。 せっかくなので、六日町I・Cで降りて前回の旅で食べ損なった、ぶな苑さんの蕎麦を食べに行く事にした。 時刻は前回と同じ午後2時。 また、ダメかなぁ・・・っと不安がよぎるが、とりあえずぶな苑さんの門を叩く。 すると今回はあっさり入店できた。 広々とした座敷は開放感があり、まずは想像以上の雰囲気に納得。 それ以上に、小生の目が釘付けとなる物を思わず発見!! なっなんと!!店内に、あの「直江状」があるではないか!! これには思わず大興奮。 ちなみに直江状とは・・・ 戦国時代末期の1600年、天下の覇権を握ろうとする徳川家康の詰問に対し、 直江兼続公が返信した書簡のことである。 現存している物はあるらしいが、それが本当に兼続公が書いたのかは定かではない。 しかし、実際それを見た家康が激怒したのは確かなようで、あの「関が原の戦い」の火種となった 書簡でもある。 ぶな苑さんにあった物は、もちろんレプリカだが、近所にいる書道の達人の方に書いてもらい、店内に飾ってあるらしい。 思わず、端から端まですっかり読んでしまった。 肝心な蕎麦の方はと言うと・・・ 硬くて太くて真っ黒な田舎蕎麦で、シコシコとコシが強く歯ごたえが絶妙。 さらに噛むと蕎麦の香りと旨みが口全体に広がって本当に美味である。 ぜひ一度は食べて頂きたい蕎麦だ。 あっというまに完食!! 食後には、お店のご主人と、暫く直江状や蕎麦の話で大いに盛り上がってしまった。 大満足な旅人であった。 |
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ぶな苑さんです。 雰囲気あるでしょう・・・。 | 硬くて太くて真っ黒な田舎蕎麦です。 マジうまっ!! |
かの有名な直江状(レプリカ)。 兼続公の義が伝わってきます。 押忍!! | 店内に飾られている直江状。 超長い文(ふみ)です |
ぶな苑さんを後にし、南魚沼市内を散策っと思ったが、時間がそれを許さない。 予定としては、坂戸城を登頂し、雲洞庵を散策してから、ぶな苑さんでの昼食であったが、寝坊をしたためにそれが叶わない。 自ら犯したミスを反省しつつ、愛機の給油だけすまして再び関越道に乗る。 新潟県は古くからの米どころとあって、一面広大な田んぼが広がる景色を堪能しながら走る。 こ辺りの米は、魚沼産ブランドのコシヒカリとして全国的にも有名だ。 長岡を抜け巻潟東I・Cで降り、国道460号から国道116号を経由して新潟市西蒲区岩室地区に入る。 ここは平成の大合併で新潟市と合併をしたが、それまでは岩室村と呼ばれていた地区でもある。 JR越後線の岩室駅前に診療所を構え、小生が所属している空手道連盟の新潟県本部長である、大塚先生宅に着いたのは午後4時。 自宅からここまでの走行距離は400kmジャスト!!であった。 我愛機の音を聞きつけたのか、奥様と共に大塚先生が出迎えてくれた。 診療が午後5時までらしいので、大塚先生宅で休憩を取らさせてもらった。 その後、既に小生の常宿にもなっているビジネスホテルまで先導してもらい、旅の垢を落としながら熱いシャワーを浴びすっきりした。 再び大塚先生がホテルまで迎えにきて下さり、新潟県本部の稽古指導に赴いた。 何度もこの新潟には稽古指導に訪れているので、生徒のさんの顔や名前もすっかり覚えてしまった。 いざ稽古が始まると、さすがは指導歴35年を誇る大塚先生の指導である。 自分は指導者として、まだまだだなぁ・・・っと思いながら大塚先生の指導を拝見させてもらっていた。 新潟本部の生徒さんは全国レベルの技と心を持つ生徒さんばかりである。 いつ来ても、本当に勉強になった。 後半は小生が、稽古指導を行った。さすがに短い時間で指導するのは大変難しいモノはあるが、精一杯の指導をさせてもらった。 最後に、先に昇段審査を受けていて、後は小生に見てもらってからではないと黒帯を渡す事が出来ない・・・っと 大塚先生に言われていた、少年部の二人の生徒さん、小池君と、坂井君の組手を拝見させてもらった。 両名は新潟県本部とお付き合いをさせてもらった数年前から、素晴らしい物を感じていた 逸材である。 二人の熱い組手を見ていたら、小生も熱いものがこみ上げてきた。 大塚先生に頼んで、二人と組手をさせてもらった。 一つ一つの突きや蹴りが小生の心をさらに熱くする・・・。 時折厳しい言葉を掛け、叱咤激励をしながら相手をした。 一人ほんの5分程度の組手だったと思うが、二人にとってはもっと長く感じたかもしれない。 それでも、最後まで息を切らせながら心折れる事無く、小生との組手を終えた。 拳を交えた後、本当に、この子達は空手が好きなんだなぁっと感じた。 そして、最後に「率先垂範」と小生が書いた色紙を二人に渡した。 率先垂範とは自ら進んで範を示すっという意味。 辛い事も、苦しい事も、嫌な事も、自ら進んでやらなければならない。 これからの空手修行の方が大変かも知れないが、真の黒帯を目指して頑張ってもらいたいと思う。 ちなみに率先垂範という言葉は、小生が4年前に道場を立ち上げた時に、自分の心に奥深く刻み込んだ言葉である。 稽古も終わり、その後、大塚先生と食事を共にしながら深夜遅くまで空手談議に花が咲いた。 小生も大塚先生みたいな指導者を目指したいと思う今日この頃である。 午前1時就寝。 本日の走行距離 405km。 |
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新潟県本部の生徒さんと記念撮影。 お世話になりました。 押忍!! | 新潟県本部の小池君(右)と坂井君(左)。 真の黒帯を目指して下さい。 |