天 地 旅 人
〜愛と義に生きた直江兼続公紀行〜
第二章 山形ツーリング (第2話)
ルートマップ 1



5月2日(土)

新潟県新潟市 (R402) → 新潟県 新発田市(R345) → 新潟県 村上市(笹川流れ)(R7) → 山形県 鶴岡市(R7) → 月山(山形自動車道) 

→ 山形JCT(山形自動車道) → 山形上山IC(東北中央自動車道) → 米沢市(R13) →山形市内
午前8時起床。

ベットからゴソゴソ起きて、熱いシャワーを浴び目を覚ませる。

身支度を整えてホテルをチェックアウトした時、大塚先生より電話をもらった。
家に少し寄って欲しいとのことだった。
昨晩は随分とお世話になったので、挨拶がてら寄るつもりではいたので急ぎ向かった。

少し道に迷いながらも大塚先生宅に到着すると、奥様と一緒にわざわざ外まで出迎えて頂いた。

雑談をしながら昨日のお礼をし、いざ出陣しようかと思った時・・・
奥様から「おやつにでも食べて」っと言われ小生の好物である、おこわ団子を頂いた。
この、おこわ団子は、醤油味で炊いたもち米の中に、こしアンが入っていて、それを笹の葉で包んであるのだが、これがまた美味なのだ。

醤油味のもち米と、アンの甘みが絶妙で、しかも賞味期限がその日なので、いくら好物でも送ってはもらえず、ここでしか食べられない代物なのだ。

ありがたく頂き、大塚先生夫妻とお別れをし、いざ出陣!!

快晴の越後の空を見上げながら、気分良く愛機を走らせると、すぐに雄大な弥彦山を見る事が出来る。
まだ、水しか張ってない田んぼには、逆さ冨士ならぬ、逆さ弥彦山が映り、旅人の目を楽しませてくれた。
あまりにも綺麗だったので、愛機を止め、しばし見とれてしまった。

岩室温泉街に差し掛かった時、天神山城跡の看板が目に入った。
城の名前は知っていたが、まさかここにあるとは正直驚いた。

この天神山城は、直江兼続の弟である大国実頼が城主を務めた城なのだ。
ドラマでは小泉孝太郎さんが、演じている。

なんの迷いも無く、看板の矢印に進路変更をする。

いちよ整備された林道をひたすら走るのだが、ホントにこんな所に城跡があるの??
っと思いたくなるような細い道をひたすら登る。
あれ?間違ったかな??っと引き返そうと思った矢先に、天神山城の登山道があった。

どうやら、ここから徒歩で行かなければならないみたいだ。

少々、迷ったが、急ぐ旅でもあるまい・・・っと自分に言い聞かせ、いざ登頂を始める。

上り始めるとすぐに、急勾配の坂が現れた。
後悔の念がすぐに押し寄せてきたが、ここまで来たらヤケクソである。

息を切らせながら、まるで選手稽古?っと思わせる滝のような汗を拭いながら、登山道をひたすら登る。
すると急に展望が良くなる場所にたどり着いた。

おっ本丸か!!っと喜び勇んで案内の看板を見ると、物見台跡と書かれていた。
本丸はまだ先らしい・・・。

テンションが急に下がり始めたが、眼下に広がる越後平野の絶景を見ると
気持ちが再び盛り上がってきた。

しばらく休憩して、いざ本丸へ!!っと思った時、ばかでかい蜂が小生を襲ってきた。
逃げてもブーンっと不気味な羽音をさせ、万歳アタック(特攻)を繰り返してくる。

一匹ならまだいいが、二匹・三匹と波状攻撃を掛けられてはたまらない。
さすがの小生も、心が完全に折れ、急ぎ下山した・・・。

無念の撤退である・・・・。

何かと蜂には縁があるらしい・・・(東北ツーリング “夫婦(めおと) 夏祭り” 参照

なんとか愛機までたどり着き、汗びっしょりとなったトレーナーを脱いだ。
そこでふっと気付いた。
トレーナーの色が、濃紺色であったことを・・・

蜂は黒っぽい色に反応して襲ってくると、確かTVで見た事があった。
しかも黒のサングラスまでかけ、黒の帽子まで・・・っとなると襲われて当たり前かな?っと反省した。

次回は完全防備で、本丸を目指したいと思う今日この頃である。

逆さ冨士ならぬ、逆さ弥彦山。 田んぼに映えます。 絵葉書みたいっす。 天神山城の急峻な登山道。 かなりキツイ!!
天神山城物見台跡からの絶景です。 越後平野を見渡す事ができます。 大塚先生のご自宅はどの辺りなんでしょうか・・・。
天神山城を後にし、岩室温泉街を抜け山裾を縫うように走ると、あっという間に海岸に出た。
日本海である。

ここからは国道402号線、通称日本海夕日ラインで新潟市街に向けて海岸線を走る。
青い空と、青い海・・・。そして潮の匂いに、風を切る清々しさ。
何度も体験しているこの風景や体感こそ、単車を走らせている時に幸せを感じる瞬間でもある。

BGMのサザンの桑田の歌声が、夏を近くに感じさせた旅人を盛り上げてくれる。
ゆっくり幸せの瞬間を噛み締めながら愛機を走らせた。

本来日本海を走るのは、夕暮れ時がいいと言われている。
海に沈んでいく太陽を見ながらの走りは最高なのだ。

しかし、ここまで来てしまえば、これでも十分。
時折みせる、青い海を眺めながらの走りはこれはこれでいいのだ。

信濃川を越え、阿賀野川に差し掛かる頃には国道113号線を走る。

この辺りまで来たら、時刻は12時を過ぎていた。
新発田市に寄って、新発田城を見学したいと思っていたので、
城見物の前に腹ごしらえをする事に。

国道113号線から、国道7号線に入り新発田市街地に入る。
すると、もつラーメンと書かれた赤いのぼりを発見。
もつ好きの小生の心をくすぐる、インパクトがあるネーミングに思わず草鞋を脱ぐ事にした。

草鞋を脱いだのは「みやむら」さんと言うお店。
40年前から豚の頭肉を使ったもつラーメンは、どうやら新発田名物らしい・・・。
嬉しい事に、麺の大盛はサービスだと言うのがありがたい。

店内に入ると、地元のお客さんが沢山いて、期待度100%!!
迷わず、もつラーメンともつ丼のセットを注文した。
もちろん麺は大盛である。

待つこと数分・・・。出てきたラーメンを見て、自分の選択に間違いがない事を確信した。
まずスープを一口。そしてまた一口・・・。

見た目よりあっさりしているスープは、旅人をご機嫌にさせてくれた。
そのスープと絡む麺もこれまた良く合う。

うまい!! 
ただ、その一言しか出てこない。 
ただ、その一言しか表現出来ない・・・。

黙々と食べ続け、あっという間に完食。

つづいて、もつ丼へと箸が伸びる。
こちらも、見た目より全然しつこくない。

もつと玉ねぎが異常なほどよく合う。
それに、新潟のコシヒカリとくればもう無敵である。

すべてを完食した旅人は、こんな贅沢な旅をしてもいいのだろうか・・・?っと思えるほどの幸せを満喫してしまったのである。

新発田名物の「もつラーメン」と「もつ丼」です。ホント美味いです。嘘ではありません!! みやむらさん、絶対にまた食べに行かさせてもらいます!! ごちそうさまでした。
もつラーメンの美味さを胃袋に押し込めて、再び出発。
国道7号線から、国道113号線に入り、胎内川を渡って今度は国道345線で村上市内を抜け再び海岸線を走る。

途中コンビニで一服がてら休憩をし、これから目指す「笹川流れ」と呼ばれる場所のリサーチをした。
店員さんを捕まえて、笹川流れってどんなトコなんですか?っと質問してみたら、これから先の海岸線がそうだと言う返事。
続けて、日本海の荒波によって岩などが侵食し、素晴らしい眺めですよっと誇らしげに教えてくれた。

店員さんには申し訳なかったが、興味が尽きない小生はお店で売られているガイドマップを立ち読みし、更に情報を収集する。

そもそも、笹川流れとは新潟県村上市にある海岸のことで、国の名勝および天然記念物に指定されている地域で(1927年指定)、
日本百景にも選定された新潟県下有数の海岸景勝地であるようだ。

ちなみに、笹川流れの笹川とは集落名で、この笹川地区より沖合いの岩場まで潮流が見られたことが名の由来とされているらしい。

情報を仕入れ、ますます興味深くなった小生は、愛機に火を入れすぐさま出発。

いざ笹川流れへ!!

国道345号線を山形県の鶴岡市方面を目指して疾走していた時、「あっ!忘れた!!」っと
思わず大きな声を出してしまった。

先にラーメンを食べた新発田市では、楽しみにしていた新発田城を見学する予定だったのだ。
もつラーメンに満足しすぎて、すっかり忘れてしまっていた・・・。

しかし、ここまで来たら戻る訳にも行かない。
次回は必ず・・・っと気持ちを切り替え愛機を走らせた。

それにしても、本当に海沿いを走る!!っと言った表現が出来る国道である。

暫く走ると、日本海によって侵食された岩々がお目にかかれる。
どうやら、笹川流れと呼ばれる地域に入ったらしい・・・。

自然が作り上げた芸術を堪能しながらの走る。

途中、愛機を止め砂浜に降りて小休止をとった。
砂浜へ静かに波が打ち寄せる・・・。
とても、このような芸術を作り上げることなど想像できないほど、穏やかな波だ。

30分くらい、ただただ、ぼぉ〜っと海を眺めた。
何も考えずに海を眺めた・・・。
まるで時間が止まったようだった。

悪くない・・・ボソッとそう呟くと愛機に跨り走り出す旅人だった。

笹川流れ一帯は、こんな奇石が沢山あって目を楽しませてくれます。 心魂戦士よ、日本海を眺めて何を思う・・・
これぞ自然の芸術作品です。 海も、超きれいっすね。 でも・・・こんな穏やかな海で、ここまで岩が削れるとは・・・。 すごい!!の一言です。
笹川流れを堪能した国道345号は、奥羽の三関所の一つと言われた鼠ヶ関(ねずみがせき)で、湯田川温泉方面へと山沿いの道に変わる。
このまま海岸線を走りたければ、ここからは国道7号線を走る事になる。
どちらを走っても、鶴岡市内に出る事には変わらない。

もうしばらく海岸線を走りたかったので、国道7号線経由で鶴岡を目指した。
由良海岸を過ぎたところから、堪能した日本海の景色に別れを告げ、そのまま鶴岡市街地に入り山形自動車道の鶴岡I・Cに向かった。

ここからは、高速自動車道での走行となる。
田んぼの真ん中に、無理やり高速を作ったような感はあるが、とてものんびりとした雰囲気がよい・・・。

さらに軽快に愛機を走らすと、田んぼが視界から消え、今度はどんどん山を登っていくようになる。
湯殿山I・Cで山形自動車道は一旦終わる。
ここからは月山道路と呼ばれる、高規格自動車専用道路を走る事になる・・・っと言いってもただの一般道路なのだ。

湯殿山I・Cを降りて、すぐに月山道路に出ると、「あっ!!月山(がっさん)だ!!」っと思わず叫んでしまった。

むろん月山という山は見たこともない。
ただ山形県にあるというぐらいの知識しかない。
しかし、月山っと分かってしまうぐらいの、強烈なインパクトがあった!!

ここで月山について少し触れておこう・・・。

月山は山形県のほぼ中央に位置し、出羽山地の南部の山で標高1984m。
秋田県と岩手県の県境にある、八幡平(はちまんたい)と同じ日本においては珍しい楯状火山である。
内陸地方と庄内地方の境にあり、日本百名山のひとつに数えられる。

また、湯殿山(1500m)・羽黒山(418m)とともに出羽三山のひとつに数えられ、
羽黒修験者の山岳信仰の山として知られる。

付近は、磐梯朝日国立公園に指定されていて山形県を代表する山の一つとして親しまれている。
また、豊富な残雪のため冬季には営業できず、夏スキーが可能な山(4月上旬〜7月末頃)としても知られる。

旅人は愛機を止め、目の前にある月山の雄大な景色に見とれてしまい、そして虜になってしまうのであった・・・。

なんだが、スイスのアルプスにでも居るような風景ですね。 これが月山です!! 素晴らしい!!!
月山に見惚れているうちに時刻は午後4時をすっかり回ってしまっていた。
今日の最終目的地は、山形県の米沢である。

土地勘が全く無い小生にとって、ここからどれくらいで行けるか見当もつかない。
とりあえず月山道路をひたすら走る。

まだこの辺りには、山肌に所々残雪も見られひんやりとしている。
月山I・Cから、再び山形自動車道に乗った。
寒河江S・Aで愛機の燃料補給をする。

スタンドのおじさんに、米沢までどれくらい掛かるか尋ねると、1時間30分くらい・・・混んでれば2時間くらいは掛かるとの返事。
午後6時までは、米沢入りしたかった小生にとっては厳しい状況になってきた。
なぜならば、今回の旅のメインイベントである「米沢祭り」の武蹄式(ぶていしき)と呼ばれるイベントは午後6時開始なのだ。

ちなみに武蹄式とは、上杉謙信公が出陣する際に行われた儀式で、それを現代に史実通りに再現しているのだ。
これは、是非見たいと思っていただけに、微妙な時間帯に少し焦る・・・。

「ちょっとのんびりし過ぎたかな・・・」っと反省をしつつも再び山形自動車道を走る。
時刻はちょうど午後5時を少し回ったところ。
あと一時間弱で米沢まで行けるかな?っとすでに心が折れかかっている。

ムリも無い・・・ここまで来るのにひたすら一般道を300km以上も朝から走り詰めなのだから・・・。
しかも、山形から米沢までは高速がなく一般道路を走る事になる。
天地人効果もあり米沢祭り(上杉家の城下街)に行くまでの大渋滞も安易に予測できる。

あれこれ悩んでいるうちに、山形JCTで東北中央自動車道に愛機を走らせた。
本日の宿は山形市内なので、すぐ先の山形中央I・Cで降りればいいのだが・・・。
ここで降りれば、すぐにシャワーを浴びてフカフカのベットに寝転んで、美味い地の料理を食べに行ったり・・・。
あれこれ己の欲望が浮かんでは消えていく。

ついに山形中央I・Cの看板が目の前に・・・。
「え〜い行ったれ!!」
っと大きな声で叫びながら、山形中央I・Cを過ぎ一路米沢へ!!

一度腹に決めてしまえば、ここからの集中力は凄まじいものがあった。
山形中央自動車道の最終インターである山形上山I・Cを降りると、ここからは国道13号線で米沢に入る。

飛ばしに飛ばした。 愛機のエンジン音もうねりを上げている。
ありとあらゆる車両を抜き去り、少しでも混雑すると神懸り的なすり抜けをもやってのけた。

ここまでコンビを組んできた、我愛機との成せる技であったのかもしれない。
なんと、午後6時前には上杉30万石の城下街米沢市街地に入り、
会場の松川河川敷までたどり着いてしまった。

沢山の人が会場に来ていた。
この中で立ち見かぁ・・・っと思ったら、有料の観覧席があった。
「当日券も販売しています」っと大きな声で売り込むお兄さんから、
どうせ見るなら・・・っと思って当日券を購入した。

案内された席は、会場のほぼ中央の席であった。
なかなかの席にご機嫌になる小生。
カメラの三脚もセットし、万全の準備を整えドキドキしながら待つ。

上杉太鼓と書かれた大きな和太鼓が、地響きを立てながらドン・ドン・ドンと鳴り響く。

いよいよ、武締式の始まりである。

月山道路周辺の山肌には残雪が残っていました。 まだ寒いです・・・。 武締式のオープニングを飾る上杉太鼓。 迫力があります!!
かがり火が灯され幻想的な雰囲気の中、迫力ある太鼓の音はいつしか、「総登城」の呼び出し太鼓へと変わり、上杉謙信公がついに登場。
続々と上杉二十八将と呼ばれる武将達が駆けつけてくる。

この間、謙信公は護摩堂に籠り、五壇護摩を行う。
五壇護摩とは、五大尊明王(不動明王・隆三世明王・軍茶利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)に祈祷する事で、
これによって自我を払い精神を統一し、神仏の啓示を得る事が出来るという。

その後、軍神勧請という儀式へと続く。
軍神勧請とは、軍神を招き迎える儀式で、伶人・神官により奏楽と警蹕が行われ、次に軍奉行の「軍神勧請」の声で、
砲術隊による火縄銃の発砲が行われた。

「ド〜ン」と肝まで震える上がるような火縄銃の銃声には正直驚いた。
カメラを手にし、発砲する瞬間を捉えようとしたが、余りにも凄い音にビックリして、ついつい取り損ねててしまう有様。
三列に並んで、次々に発砲しているその様は一見の価値ありだ。


砲術隊の発砲が終わり、謙信公は、軍師を従えて神前に進み祈祷を行い、神前に供えてある水(五沾水)水筒に移す。
ここから、五沾水(ごてんすい)の儀が始まる。
五沾水(ごてんすい)とは、神の水であり、これをを受ける事で神に代わって敵を討つ信念が固められる。
各武将は、五沾水を軍奉行から受け、最後に軍奉行と軍師がそれを受けていた。

続いて、賜旗の義が行われた。
謙信公によって先手の大将に「刀八毘沙門天」の旗、二の見の大将に上杉家家宝「八幡の御弓」、
僧侶に帝から賜った「天賜の御旗」が渡される。
出陣を前に、お能衆によって謙信の読んだ和歌が朗詠された。

そして、いよいよ出陣である。
謙信公の出陣の号令で鉄砲隊の発砲があり、上杉太鼓・軍螺が打ち鳴らされる。
軍奉行の抜刀の号令と謙信公の掛声により、武将達はそれに応え、上杉軍団は降壇行進を行い、
武締式は終了した。

地元の人に聞くと、翌日は朝から米沢市内を上杉軍団が甲冑姿で練り歩くそうだ。
そして、再びこの河川敷であの戦国史上稀に見る激戦で有名な、川中島の合戦が再現されると言う。
しかも、それらの武者達は一般から応募しているそうだ。

来年こそは、甲冑を着て上杉の「義の軍団」になりてぇ〜!!と心から思う旅人であった。

余韻に浸りながら、河川敷を歩いた。いまだ興奮が冷めないでいる。
時刻はすっかり午後8時30分を回っていた。
愛馬ならぬ愛機に跨り、義の軍団になりきってしまっている小生は山形へと進路を取る。

さすがに日が暮れると、寒さを感じる。
国道13号線を走り、山形市内に入った。

迷いながら山形市内を彷徨い、ホテルに着いたのは午後9時30分を過ぎていた。
今日から3日間お世話になるホテルはリッチモンドホテル。
駐車場の係りのおじいさんに愛機を止める場所を聞いたら、なんと一階のロビーに止めていいと言われた。

こんなに単車に優しいホテルは初めてだ。
二階のフロントでrチェックインをして、部屋に入ったとたん、どっと疲れが出て空腹感に支配されてきた。

そう言えば、昼食後から何も食べてはいなかった。
かといって、これから出掛ける気にもならない・・・。

ふっと、大塚先生から頂いたおこわ団子を思い出した。
6個入りの団子をむさぼるように食べた。
おかげで今度は満腹感が小生を支配してくる。

ベットに横たわり、「ふぅ〜」っとため息をつき、テレビを見ながらすぐに意識を失った。

午後10時就寝。

本日の走行距離 445km。

いよいよ謙信公の登場です。 貫禄あります!! 護摩堂に籠り家臣団を待つ謙信公・・・。 戦国時代にタイムスリップ!!
五沾水(ごてんすい)の儀式模様です。 神聖な気分になりました。  鉄砲隊の発砲です。 肝が震えました・・・。
全ての儀式が終わり 「いざ出陣!!」   来年こそ、上杉軍団の一員に・・・。




第3話に続く(只今執筆中)


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